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内藤選手との7年間

「中小企業でも希望は持てるんだ!」
世界王者・内藤大助選手と菅谷信一が歩んだ7年間。

菅谷信一がボクサー時代にトレーニングした宮田ボクシングジム(東京都葛飾区)。
2002年4月、下町の小さなボクシングジムに世界タイトルマッチ挑戦の話が舞い込みました。
挑戦するのは世界フライ級14位(当時)・内藤大助選手。宮田ジムのホームページをボランティアで制作していた菅谷信一は仕事を止めてサポート、挑戦者陣営の一員として敵地・タイ東北部コンケーンへ乗り込みました。

40度を越える灼熱のリングで世界フライ級王者・ポンサクレック(タイ)に挑んだ内藤選手でしたが、結果は初回わずか34秒でノックアウト負け。帰国後、失意の内藤選手を宮田ジム陣営の一員として再度、世界戦のリングに立たせるための奮闘が始まりました。

内藤選手の試合が決まればポスター、パンフレットを企画制作、復活ロードを陰で支えました。やっと実現した二度目の世界挑戦は2005年10月。雪辱を期す挑戦者・内藤選手でしたが7ラウンドに目の上を負傷し判定負け。そして、2007年7月に三度目の世界挑戦が実現したときには挑戦者陣営・宮田ジムには世界戦を開催するための資金が底を尽き、急遽スポンサーを公募、一般のファンからも募金を募ることになりました。

普段、中小企業に対して低コストで最大効果を、と活動する菅谷信一も自社クライアントを中心に資金集めに奔走、スタッフとして世界戦の舞台裏を支え、迎えた7月18日、後楽園ホールで奇跡が起きました。

17度防衛を誇る世界王者・ポンサクレック相手に、圧倒的な不利を予想された内藤でしたが、積極的な攻撃が奏功。大方の予想を裏切り3-0の判定勝ち。見事にWBC世界フライ級チャンピオンに輝きました。「苦労人ボクサー」内藤選手の世界奪取とその後の活躍は、中小企業にも勇気を与え、努力し続けることの大切さを世の中にアピールしました。

そして、34歳にして成長を続ける内藤選手は、注目を集めた亀田大毅戦で初防衛、2008年3月にはポンサクレックとの4度目の対決を制して2度目の防衛に成功。

世界王者・内藤大助選手と広報プロデューサー・菅谷信一が中小企業に夢を与える物語はまだまだ続きます。

2008年3月、2度目の防衛直後にリング上で。右から三人目が菅谷信一。